世嬉の一酒蔵の由来

「世嬉の一酒造」は、江戸時代から続く由緒ある蔵元です。 江戸時代には初代横綱、谷風の後援者として知られた蔵元でした。 明治時代に明治天皇が平泉に行幸された際に休み処を提供させていただき、 靖国神社や明治神宮に当蔵で醸造した日本酒を献上しています。

閑院の宮さま(中央)と
閑院の宮さま(中央)と。バックの玄関の門は、今は初恋神社の囲いになっております。

社名には、ちょっとしたエピソードがあります。大正時代、戦前の宮家の一つで「髭の宮さま」として知られた閑院宮載仁親王殿下が当所へお越しになりました。 その際、「世の人々が喜ぶ酒を造りなさい」ということで命名されたもので、1957(昭和32)年、現社名としました。

現在博物館の部分
現在博物館の部分。昔は仕込み蔵でした。

文化人との交流もありました。古くは島崎藤村が寄寓し、 幸田露伴、北村透谷、内村鑑三といった人々との関わりもありました。戦後直後には、まだ中学生だった作家、井上ひさし先生の一家が当蔵の土蔵で暮らしています。

仕込み蔵の内部
仕込み蔵の内部

現在、工場は移転し、かつて酒造りをしていた大正から昭和初期に建てられた蔵で地ビールの醸造や郷土料理などを供するレストランを営業しています。 これらの酒蔵群は、1999(平成11)年に国の登録有形文化財に指定されていますが、レストランなどとともに「酒の民俗文化博物館」や一関ゆかりの文学者を紹介した文学館 「いちのせき文学の蔵」が併設されています。

上から見た写真
上から見た写真

私たち蔵人は、蔵の歴史や伝統、地域の文化を踏まえながら、その名に恥じない酒造りと、美味しく、安心、安全な食の提供を通じ、皆さんにちょっとした幸せを感じていただけるよう心がけています。

カフェ徳蔵の前
カフェ徳蔵の前